織田信長 その人2[楽市・楽座]

  • 2019.11.29 Friday
  • 23:29

[織田信長]が好評?につき、

調子に乗って、またまた[織田信長]を書いちゃう

僕が【家主】の中山手 線です。

 

さて、

皆さんは、ご存じでしょうか?

鎌倉時代の1185年から豊臣秀吉が日本全国(北海道、沖縄以外)を統一し、

太閤検地完了の1591年までの約400年の間、大名(領主)の収入は[貫高制]であり、

現在、一般的に言われている[石高制]ではなかった

例えば(1)

■お百姓さんが大名(領主)に納税するとしよう。

・[貫高制]:お金

・[石高制]:お米

 

例えば(2)

■織田信長が尾張国1国を支配した時の税収で表現してみよう。

・[貫高制]:1万貫(当時は、貨幣単位は[貫]だった)

・[石高制]:24万石

 

従って、教科書やテレビで言われている織田信長の最大版図の時の税収は、

[600万石]とも、[800万石]とも言われるけれど、

それは秀吉時代や徳川時代と同じ[石高制]で解りやすく書いているだけで、

正しい表し方ではないという事です。

従って、正しく記すと[14,400万貫]とも、[19,200万貫]と表記します。

 

何を言いたいのか?というと

織田信長までの時代の常識として、税収は[貫高制]なので、

当然、織田信長が重視していたのは[市場経済の活性化]であって、

織田信長は、上杉謙信と同様、

楽市や楽座を中心とした、自国の経済成長に目を向けた戦国大名である

※ある面、織田信長は、上杉謙信を見習っていた感がある。

 

実際問題、織田信長の時代

例えば、尾張国清洲(愛知県清須市)から伊勢国長島(三重県長島市)までの

20km間で、関所が6~10か所もあったらしい。

※この[関銭(通行税)]は、その土地の領主や寺社や豪族などが

 勝手に関所を設けて微収していたらしく、それぞれの収入源になっていた。

 当然、織田信長の収入源は増加しない。

 

つまり、関所を通過するのに[関銭(通行税)]を払う。

その分、物流は高くなる。

関所を10か所通過すると、10か所分の[関銭(通行税)]が商品に上乗せされる

同じ商品が国、地域、市場によって価格が変動していた

これが戦国時代の常識だったのだ。

 

織田信長が最初に手を付けたのが、この関所撤廃である

関所を撤廃することで、適切な価格を定め、物価の高騰を抑えて、

活性化し、その上で、その市場での売買に税金をかけた。

これを織田信長流の[楽市・楽座]であり、

学校でならったほかの戦国大名の[楽市・楽座]とは、

かなり内容が違うのだ。

 

さて、その為に織田信長が徹底したのは、前回にも記述した、

1)関所の撤廃

2)交通網の整備

3)産業の区分け

4)市場の整備

5)金銭の統一 などです。

 

そこで問題になったのが、

A)寺社が設置している寺社領の関所と市と座の利権問題

B)朝廷が設置している朝廷領の関所と市と座の利権問題

C)公家が設置している公家領の関所と市と座の利権問題

D)独立豪族が設置している豪族の関所と市と座の利権問題

E)豪農が設置している総村の関所と市と座の利権問題 である。

この[利権]を各勢力が手放すはずがないのである。

それは現代の今でも同じこと。

 

ということで、

織田信長が相対したのは、この[利権](A~E)の撤廃。

それを了承しない既存勢力の撲滅。

つまり、自国勢力の新物流システムに置換えることである

ここのところを、歴史家とか、歴史好きの方々は理解していない。

 

基本的に、歴史を鑑みる時

1.不動産の利権確保

2.市場の利権確保

この2つの[利権]を基本に歴史をみてみると

・なぜ、大和朝廷は侵略したのか?

・なぜ、鎌倉・室町幕府が成立したのか?

・なぜ、応仁の乱が勃発したのか?

・なぜ、織田信長が急成長したのか?

・なぜ、秀吉が天下を統一できたのか?

・なぜ、徳川幕府が300年も続き、繁栄したのか?

・なぜ、明治政府が成立したのか?

すべてが理解できる。

 

まずは、織田信長の場合は、

主たるベースは[市場利権の確保と改革]である。

 

当然、既存勢力は、

自身が有する関所と市場利権を手ばさなかった。

それが寺社であり、他国の守護大名であり、

比叡山延暦寺であり、本願寺などの寺社勢力であり、

堺などの商人勢力だったのだ。

 

一度、僕が書いた[不動産]と[市場]を基本に、

織田信長を読んでみてください。

彼が打ち出した政策、どうして合戦になったのか?が

とても良く理解できると思います。

 

※次は、信長の幼少の頃を書くと言っていたのに、

 ついつい、前回の延長上で[楽市・楽座]のことを書いてすみません!

 次回はきっと!

 

オマケ)

あまり知られていないけれど、

[秀吉]は、戦争で相手と戦って、

相手を殺傷して手柄を立て、

恩賞を賜ったことなど一度も無い!

ということをご存じだろうか?

 

秀吉の長浜城主になるまでの手柄のほとんどは、

上記記載の[関所撤廃]と[新市場構築]の手柄なのである

まぁ、出世すると他国攻略(関所撤廃と市場確保、流通センター構築)や

相手大名の説得やヘッドハンティングなど彼の守備範囲は広がるが、

一軍の将となるまでの秀吉の手柄のほどんどは、

戦争での手柄ではないのを理解した上で、秀吉という人を見ると面白い。

 

 

 

では、寝ることとする。

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