[死]の後のプロセス[1]

  • 2018.11.18 Sunday
  • 03:38

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僕が【家主】の中山手 線です。

 

早速ですが、

危篤状態であったWifeの叔父さんが、

約2ヶ月の間、懸命に頑張ったにも関わらず、

あちらの世界へ旅立っていきました。

 

叔父さんの魂(気と意識)が身体から離れた瞬間から

四十九日までの間に何が起こってるのか?

叔父さんの魂(気と意識)は、何処へいくのか?

 

密教に帰依する徒として、

僕の知りうる限りの知識を書き綴り、

Wifeの[悲しみ]と[不安]を助ける一助になれば!と思いながら、

過日にアップしている[死に至るプロセス]の続編となる

[死の後のプロセス]として初七日×七日(四十九日)までを

できるだけ解りやすく説明していきたいと思います。

※前回の[死に至るプロセス]は専門用語が多すぎて

 解りにくかったとの事なので、、、

 

蓮の花2_RR.jpg

 

[死に至るプロセス:死の光明]の後

 

日本では[魂]と呼ばれる[気]と[意識]が身体から離れた時、

つまり、[死んだ]は、[極善の人]と[極悪の人]には、

初七日および七日ごとの中陰、

つまり四十九日間の中陰は存在しない

 

[極善の人]は、

死と同時に極楽浄土の蓮華台の上に再生し、

五逆の大罪を犯した[極悪の人]は、

死と同時に地獄に再生すると言われている。

 

[極善の人][極悪の人]でない

[普通の人]

初七日から始まり、

七日ごとに次々と生縁(再生する縁)が決まってゆき、

最長でも死後四十九日目までには、

すべての死者に次に再生する生縁が決定する

と言われております。

 

さて、

その様な中で、自身の気と意識が身体から離れ、

自分が[死んだ]ことを自覚できない[普通の人]に待ち受けている

七日ごとの中陰について記載してみることにした。

 

100130-102638_RR.jpg

[初日(死んだ日)]

死者自身の気と意識が身体から離れた時、

つまり、死んだ時、この時には親族たちの鳴き声や悲嘆の声、

彼らが相談している会話の内容などが鳴り響き、

死者は立ち上がって傍に駆け寄り話しかけるが、

彼らは見向きもしてくれない。

 

死者の側から彼ら親族たちを見ることはできるが、

彼らがこちらを見ることはできない。

彼らが自分(死者)に呼びかけているのを聞くことはできるが、

こちらから呼んでも彼らには聞こえない。

そして、死者は憂鬱な気分になる。

 

死者が憂鬱な気分になった後、

死者には大音響と色彩と光明の三つの現出があり、

死者は恐怖畏怖戦慄三つによって失神させられてしまう

 

死者の意識が身体から離れる前、

つまり、死者が生きていた時に作り上げられた[心の習慣とその蓄積]は、

彼が死んだ段階では、死者の身体(意識の身体)となるのだが、

それは実質をもった血肉の身体ではなく、

意識としての身体にすぎないことを死者は、まだ自覚できない

 

従って、死者は、もう死ぬことがないにも関わらず、

死者の気と意識が自身の身体から離れたことを自覚できなかった人には、

大音響と色彩と光明の3つからなる幻影が現れ、

そして、迫り、死者は、それを死者自身の投影であることに気づかずに

恐れおののき、畏怖と戦慄によって、何度、々も失神させられてしまう。

 

密教では、

この段階、

つまり、自分が死んだことを自覚できていない段階では、

この世に執着心や希求心(貪り)をおこしてはならない。と教えている。

 

つまり、[死の光明]に至るまでに

浄化されたはずの心の働きである

生に対する執着心や希求心(貪り)が蘇るらしいが、

例え、この世の生に執着や希求を起こしたとしても、

死者は、この世に留まることは

不可能であることを自覚しなければならない。

が、自分が死んだことを自覚しない場合は、

恐れと畏怖と戦慄の状態の中で、

彷徨いつづけるよりほかはない。

 

かつ、この恐れと畏怖と戦慄の状態の中では、

過去の業が浄化されることはない。

自分が死んだことを自覚するまでは、

繰り返し、繰り返し、

この苦しみの中を彷徨い続けるほかはない。

 

その状態の中で、

現れてくる幻影が何であったとしても、

すべてについての恐怖、畏怖、戦慄は

自分自身の意識の投影したものであると確実に覚ることが大切な要点である。

それを忘れてはならない。

と教えは、強調している。

 

善い人よ。

汝の心と身体が離ればなれになる時、

汝の存在本来の姿の純粋な現出があるであろう。

その現出は微妙であり、色彩と光に満ち溢れている。

光輝に光り輝くであろう。

その本性は幻惑させ、汝をおののかせるものではあるが、

これを恐れてはならない。

おののいてはならない。

怯えてはならない。

 

これこそ汝自身の存在本来の姿そのものの現れであると覚るべきである。 

そして、この現れを覚ることができなかった場合、

死者は、その大音響と色彩と光明の3つの本質を覚ることができずに輪廻し、

彷徨いはじめることになる。

 

つまり、初七日へ向かっていくのである

 

亡くなった者も、残された親族たちも、

言葉では言い表せないほどの悲しみと辛さではあるけれども、

亡くなった者がこの世に留まることは不可能であることを受け入れ、

残された者たちは、

亡くなった者が最長である四十九日までの間、

あらゆる幻影に苦しむことなく

できるだけ早い段階で、再生する生縁が決まるよう

手をあわせ、苦しむことなく浄土へ向かうように!と

心から願ってあげてほしい

廻向してあげてほしいと思う。

 

初七日から四十九日までの間、

七日ごとに司る仏様が違う[十三仏]という信仰があるけれど、

現在、自分自身が信仰している仏様でも、

過去からの馴染みある仏様でも良い、

思い浮かばない方は、[観世音菩薩]で良い。

まずは、手をあわせ、

同時に、仏の名前を唱え、

次に、亡くなった方の名前を唱え、

そして、「迷うことなく浄土へ向かいますように!」と

小声で良いので、声を出して唱えて下さい。

 

仏様も

亡くなった方も、

こちらの声は聞こえますから

功徳になるはずです!

 

 

次回は、

亡くなってからの1日目を書きます。

では、寝ることとする。

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