[正座]という言葉の歴史は浅い!
- 2018.10.09 Tuesday
- 02:22
歴史の事となると
ついつい反論したくなる
僕が【家主】の中山手 線です。
仏事や法事などでお宅を訪問した際、
僕は、ご出席の皆さんに、
「はじめから足は崩してくださいね!」
「正座はしなくて良いですからね!」
とお伝えするんだけれど、
おじいちゃんやおばあちゃんは、
足が痛くなる!と言いながら、[正座]に固執する方が多いので、
「[正座]は、洋の東西を問わず、
罪人が座る姿勢ですから、僕はおススメしてません!」というと、
「でも、[正座]しないとね!、昔の礼儀だから、、」と言う。
おばあちゃん!
昔って、いつの時代のこと言ってます?
私の爺さんの頃からかね、、、
明治天皇の頃ぐらいかな??
※結局の所、
では、仏で[正座]している仏像って見たことありますか?
と聞くと「そんな仏様は見たことない!」
という事で、いつも納得されるんだけどね(笑)!。
さて、話は戻って、
こんなこと言うから僕は嫌がられる坊主なんだけど(笑)!。
でもね。
意味も知らずに、
ただ昔からの伝統?、しきたりだから!と思いこむのは、
間違ってる!
そもそも[正座]って、
かなりの昔、
その昔、
ちょっと昔、
面倒だ!
実は、時間をずーと遡って
そう!、太古の昔から、この日本国においては
[正座]は、天皇が神に奉拝や礼拝する際に、
神に敬意を表する表れとしての姿勢[座り方]であり、
それが一般化されて「敬意を表する座り方」の基本となったらしい。
でも、一般化されたのは、つい最近の明治維新以降のこと!
例えば、
将軍が天皇に拝謁する時の座り方の姿勢[座り方]となり、
そして、大名が将軍に拝謁する時の座り方の姿勢[座り方]となり、
次に、臣下が大名に拝謁する時の座り方へと広まっていった。
これは、徳川幕府が[参勤交代制度]を制定し、
その共通礼法として、[小笠原礼法]を採用した時から
全国の藩へと広がっていったものだけど、
一般の下級武士や農民、商人は、
卑弥呼時代からの一般的座り方である
[胡坐(あぐら)]や[立膝]で座るのが普通だったのだ!
つまり、そもそも明治維新以前は、
[正座]という言葉すら無かったし、
[正座]は、一般的な座り方ではなかった!
なぜなら、
まず、[畳]というモノはが、
下級武士や商人、農民たちの家に広がり始めたのは
徳川5代将軍の徳川綱吉[元禄時代]からはじまり、
徳川8代将軍の徳川吉宗[享保時代]で広まったとされているらしい。
でも、これは[江戸(現:東京)]だけの話なので、
全国的に広まったのは、もう少し、遅く、
徳川11代将軍の徳川家斉[寛政時代]だと思う。
つまり、幕末間近の江戸末期。
そう!
それまでの間、一般家屋は[板の間]だった!
つまり、[板の間]で[正座]なんか痛くてできるわけないし、
一般人が[正座]をしている人を見るのは、
[罪人]だけだったので、
[正座]は[罪人]が座る座り方と認識していたのだ!
そして、[正座]という言葉は、
明治維新により、江戸幕府が倒れた後に、
明治維新政府が作った言葉なのだ!
どうして、[正座]を一般化した座り方に制定したのかというと、
皆さんがご存じの通り、
江戸時代、[士農工商]と別けられていた身分制度を[四民平等]とし、
そしてその[四民平等]の証として公布したのが、
[正座]だったのだ!
つまり、
[士農工商]の身分制度廃止を実証する証として、
武士が農民や商人に対しても
農民が武士や商人に対しても
商人が農民や武士に対しても
平等に
相手に敬意を表する表れとしての姿勢[座り方]
で対応しなければならなくなった!。
ということなのだ。
[正座]の歴史は浅い!
ホント、いつも思うんだけれど、
仏教(用語や法事作法)のこととか、、、
武道(作法)のこととか、、、
その土地の昔からの言い伝えとか、、、
ず~っと昔からの伝統とか言うけどね。
実のところ、
その[ず~っと昔]っていつからなの?
突き詰めていくと、
ほとんどのモノは、江戸時代、、、
それも5代将軍の徳川綱吉からスタートする。
そう、そのほとんどは江戸時代中期なんだよね。
言うほど歴史ないじゃん!
せめて、安土(桃山)時代
できれば、室町時代
マジ!ホント?の鎌倉時代
それは素晴らしいわぁ!の平安時代
それは無いだろうの奈良時代
有りえないね!の飛鳥時代
ぐらいからの伝統なら納得するんだけどね!
では、寝ることとする!