剣豪についての所感

  • 2017.10.16 Monday
  • 22:02

居合道を始めたばかりの超未熟者である

僕が【家主】の中山手 線です。

 

ではではと、、、

歴史をちょっと調べてみると、

わが国に発生した幾千もの剣術流派(途絶えた流派を含め)は、

下記の3流派を[遠祖]としているみたいだけれども、

現在、大きくわけると[3流派]に大別される。らしい。

 

[遠祖]

天真正伝香取神道流(飯篠長威斎家直)

陰流(愛洲移香斎久忠)

念流(念阿弥慈恩=相馬四郎義元)

 

[大別される3流派]

天真正伝香取神道流(飯篠長威斎家直)

 ■代表的な剣聖:新当流 / 塚原卜伝

陰流(愛洲移香斎久忠)

 ■代表的な剣聖:新陰流 / 上泉伊勢守信綱

中条流(中条兵庫助長秀) ※中条流は念流から分派した流派

 ■代表的な剣聖:一刀流 / 伊藤一刀斎

171007-162534_R.jpg

 

さてさて、、、

その剣術の遠祖達から江戸初期までの[剣豪]と言われた方を調べてみた。

つまり、年代的には、

室町時代初期(1350年)から江戸時代初期(1600年)までの[250年]

 

この250年の中で、歴史に名前を残した剣豪は[130人]ほど!

ざっくりの調べて130人だから、ちゃんと調べたらその倍以上になるかも?

ってことは、当時の日本って広かったんですね!

 

そりゃそうだ!

今の時代と違って、情報伝達が未熟な時代。

鹿児島県で有名な剣豪が、北海道で有名な剣豪を知る由もない!

淡路島一番の剣豪が、新潟県の佐渡ヶ島一番の剣豪を知る由もない!

そんなことを考えたら、どれだけの剣豪がいたのか?と思う。

 

歴史に名前を残した剣豪は、

自らが極めた剣術をもって[就職活動]をしたので、

その国や藩の記録に名前が残っているが、

富や名声を欲しなかった剣豪もいたのではないか?と思われる。

 

なぜなら、

剣術をもっての就職活動と言うのは、

当時、[負ければ、即、死]に直結していたし、

剣術と哲学も直結していて、

悟りを得ると富や名声を求めない剣豪もいたはず!なんて考える。

 

あっ、

急に話が変わってしまうが申し訳ない!

 

そもそも、何についても例外はあるが、

通常、どんな剣豪でも、戦(いくさ)をはじめ、人を斬る行為の場合、

実際に斬れる人数は[2人]といわれている。とのこと。

[3人目]は、[息切れ]と[刀の刃こぼれ]と[血糊]で、

相手を傷つけるのがやっとだったらしい。

 

これはこの話を居合道の師範から聞いた後、

「ちょっと試してみるかい?」となり、

実際に試して頂いたんだけどね。

 

まず、斬りかかってきた相手の[刀の刃]を

こちらの[刀の刃]で受けるとどうなるのか?という話。

 

TVや映画の時代劇では、火花が散って滑っているけれど、

実際には、[刃]に[刃]が食い込んで、

滑るどころか、まったくもって動かない!

 

どうしてだぁ???

お互いの[刀の刃]が食い込んでるもんだから、

食い込んだ位置で固定されちゃてて動けない!

それでもって相手が[力技]で押さえ込んでくるもんだから、

こっちも負けじと[力技]で押し返してしまう

この攻防を続けるしかないのだ!

 

でも、その食い込んだ[刃]を外す方法として、

自分の[刀]を寝かせて、食い込んだ[刃]を外し、

相手の[刀]を、自分の刀の[鎬(しのぎ)]をつたって流していく、、、。

が、未熟者の僕などは、自分の[刀]を寝かせた瞬間に[力負け]してしまう。

 

まぁ、剣豪ならこんなことはいとも簡単なんだろうけど、

いずれにしても、たったこれだけの単純な動作というか、

この攻防ですら、僕の想像を超えた体力を消耗し、

ヘロヘロになってしまう。

つまり、これが斬り合いなら、次の瞬間にお陀仏なのは僕。

 

次に、

これは事実に近い話としての記述だけど、

[日本三大仇討ち]の一つとして有名な[鍵屋の辻の決闘]

その[18人斬り][36人斬り]で有名な荒木又右衛門の話。

 

彼が学んだ流派は諸説あり、

父親からは中条流、叔父からは神道流等と書物によってマチマチ。

が、ここでは柳生十兵衛から学んだとされる新陰流の剣豪(達人)説を記載する。

その荒木又右衛門が伊賀上野の鍵屋の辻周辺で決闘の助太刀をした話。

 

まず彼は、一刀流の達人と言われている河合甚左衛門を出合い頭に斬った後、

敵方の武者に木刀で後ろから腰を殴られて横転し、

這いずり回って、やっとの事で2人目を斬り、

そして、3人目と立ち会っている最中、

彼が所有している名刀・強刀といわれる[来金道(らいかねみち)]が折れ曲がり、

あげくに、ポキン!と折れてしまったとの事。

まったくもって、18人斬りや36人斬りどころではない。

実際、彼が斬ったのは、やはり[2人]だったとの事。

でも、使ったその体力は、オリンピック選手以上だったと思う!

 

事実、僕は齢54歳になりはしたが、

[脳みそ]はいざ知らず、[体力]なら、その辺の若者よりもある!と豪語するこの僕だけど、

日本刀で連続100回の素振りだけで[身体がヘロヘロになって大変]!

ましてや、刀を振り回しての殺し合いなら

いかに剣豪と言えども、また、斬り合いの場数を踏んでいたとしても、

相当な体力がなければ何人もの人を斬ることなんてできっこないはず!

だから、荒木又右衛門のこの記述は、素直に納得できる!

 

が、そういう意味では、

信じられないが、事実としての文献が多く残されている剣豪がいる。

 

その名は、徳川将軍家剣術指南役

新陰流の柳生宗矩

 

若い頃の話として、

彼は、大阪の陣で、徳川秀忠を守る為、

迫りくる豊臣方の武者7人を瞬く間に斬った!と記録されている。

伝記等の書物により、10人や16人などの人数の多寡はあるが、

一番少ない人数で[7名]と記録されているので、

実際、7人だったんだろうと思う。

 

[サスガ! 剣聖]

 

[剣豪]も[剣聖]になると違うんですね!

 

とは言え、

我が国には、数多くの剣術流派があり、

剣豪たちの数多くの逸話も多いけれど、

何十人も斬ったと伝えられている剣豪も、

最後は、息切れし、集団で惨殺されたなど記録も多く、

どんなに強くても、結局は、体力勝負なんだなぁ〜と思う。

 

まあ、いつの時代でも

強い人は、強いんだけどね!

 

では、寝ることとする!

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